沿革
| 昭和22年 10月 | 大阪市南区河原町1丁目1547番地において、初代社長柴峠正夫が製菓材料卸商として、アワジヤ商店を創立 |
|---|---|
| 昭和27年 8月 | 株式会社アワジヤ商店に組織替えを行い、北海道から沖縄に至るまで業務を拡張する |
| 昭和38年 4月 |
大阪市浪速区河原町2丁目1457番地に移転鉄筋コンクリート4階建、延800平方メートルの自社ビルとなる |
| 昭和41年 4月 |
奈良市学園町北1丁目(近鉄学園前)に、菓子部(洋菓子のアスター)を新設販売店に製造工場が併設した店舗は当時珍しく、小売のモデル店となった |
| 昭和44年 3月 |
家庭用菓子材料部のジャパンホームメイドケーキチェーン(Jhc)を新設当時、家庭用の菓子材料が少なかったことが設立のきっかけである。近畿での家庭用ハンドミキサーの売上が97%を占めていた |
| 昭和48年 9月 | 会社の称号を株式会社アワジヤに改称する |
| 昭和50年 5月 | アビコ営業所を開設 |
| 昭和61年 8月 |
アビコ営業所より住吉営業所に移転総合管理センターを併設する |
| 昭和62年 10月 | 二代目社長 柴峠隆士就任 |
| 平成元年 4月 | 奈良市押熊町にアスター平城店を洋菓子ロードサイド店のモデルショップとして新設 |
| 平成18年 7月 | 時代のニーズに対応する為、業務用製菓材料部門と家庭用製菓材料部門を統合する |
| 平成18年 11月 | Jhc難波店を改装して、Jhcナンバ店と改称「商品いっぱい、情報いっぱい、笑顔いっぱい」をスローガンとして再出発する |
| 平成24年 1月 | アスター本店とアスター平城店を統合し、アスター平城本店とする。 |
| 令和5年 9月 | 現社長 川端晃生 就任 |



大阪市南区河原町1丁目1547番地において、初代社長柴峠正夫が製菓材料卸商として、アワジヤ商店を創立
大阪市浪速区河原町2丁目1457番地に移転
奈良市学園町北1丁目(近鉄学園前)に、菓子部(洋菓子のアスター)を新設
家庭用菓子材料部のジャパンホームメイドケーキチェーン(Jhc)を新設
アビコ営業所より住吉営業所に移転
二代目社長 柴峠隆士就任
奈良市押熊町にアスター平城店を洋菓子ロードサイド店のモデルショップとして新設
Jhc難波店を改装して、Jhcナンバ店と改称「商品いっぱい、情報いっぱい、笑顔いっぱい」をスローガンとして再出発する
アスター本店とアスター平城店を統合し、アスター平城本店とする。
現社長 川端晃生 就任